彼女たちの手は、ただ服を直すのではない。
「あなたの服にする」ことで、
着る人と、着せる人と、社会とのつながりを、
もう一度つくっています。
キヤスクに寄せられる服には、
着る人の人生が詰まっています。
そして返ってくる服にも、
縫う人の人生が、そっと添えられています。
服は、ひとりでは完成しない。だからこそお直しは、物語の続き。



想像しながら、一針ずつ


北は山形から、南は熊本まで。キヤスクのお直しは、全国の「キヤスト」たちの手によって縫われています。在宅でミシンに向かう彼女たちは、プロの縫製経験者もいれば、障害のあるお子さんの服を工夫してきたお母さんたちもいます。
お直しの仕事は、単なる作業ではありません。一人ひとり異なる身体の特性や生活のリズムをふまえて、「どこがつらいのか」「どう着られるようになりたいのか」を想像しながら、一針ずつ、服に向き合っていきます。


たとえば、「前開きのTシャツ」と言っても、真ん中で開けるのか、柄を避けて脇を開けるのか、マジックテープがいいのか、スナップボタンがいいのか——チャットでの会話や写真のやりとりを、何度も何度も繰り返し、着る人と、縫う人の間に、小さな橋がかかります。
ミシンの音が響く小さな部屋で、キヤストは、とても静かなやさしさを服に宿していきます。その服が、ハレ日の一枚だったり、自分で脱ぎ着ができるようになった一枚になればいいなと、想いをこめながら。縫い終えた服には、手書きのカードを添えて。お届けするまでが、キヤスクの仕事です。
静かなやさしさを服に



誰かの「着たい」を叶える服には、
たくさんの見えない手が、そっと重なっています。
想いを縫う仕事は、今日もどこかの机の上で続いています。

今日もどこかの机の上で

SPECIAL MOVIE
今回は、ふたりのキヤストを尋ねました。
それぞれの部屋でミシンに向かう日々のこと。
お客さまと交わした、忘れられない会話のこと。
きっと、どんなことばよりも、
この映像に映る、まなざしや声が、
「想いを縫う」ことの意味を伝えてくれると思うのです。
KIYASUKU SPECIAL MOVIE
キヤストの、日々。